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Thinking of Design

 

場所

 

もともとあった地形・地域のありようを読み解くこと、そこから与えられた課題との間にどのようにつながりを構築するかを考えることを大事にしたい。

 

前に、関西の有名な製菓店が山際の土地に工場進出を考えそれに対しコンサルタントが提案したのがよくある、山を削って平らに造成するプラン、それに同意が得られずこちらに再提案が求められたことがあった。時間もなかったので、敷地図に等高線をたよりにフリーハンドで、ほとんど地形をいじらず既存の樹木もなるべく残し、工場(それだけでなく美術館・カフェ・宿泊施設を、これは当初の要件にはな かったのだが)を分散配置したプランを提示したところ受け入れられたということがあった。

 

今 でもそうした考え方に大きな変化はないように思う。地形/地域のありようを読み解くことは、単に既成を維持するという保存というのでもなくまたは現状から断絶して新 たな形だけを輸入するのでもない、その中間点を探る地道な作業であり、そうした試行錯誤こそがその場所にしっくりと馴染んだものを構築するための大事な出 発点であると考えている。

 

そと

 

少 し前まで(と言ってももう半世紀近く)田舎に残っていた古い家々には土間があり縁側があった。ところが戦後、公営住宅から脱出した人たちのそこでの経験が 彼らのマイホームプランに反映され、狭い玄関と(ただ玄関扉だけは立派だった)うすっぺらな窓サッシによって、内部と外部が区切られた住宅 が立ち並ぶようになった。地域と住宅をやわらかくつなぐショックアブソーバーの役割を果たしていた土間も縁側もそうした「新しい家」には不必要であった。 大事なのはシステムキッチンでありテレビを置くリビングルームになっていった。

 

そして時代は巡って、からっぽな筐体であるテレビよりも大事なもの、たとえば地域の人々とのつながりとかが見直される時代となって、土間や縁側のコミュニケーションツールとしての価値が遅ればせながら再発見されつつあるのではないでしょうか。

 

 

うち

 

誰 でも既成概念にとらわれてしまう。戦後に出来た「理想の住宅」の形が人々に与える拘束には計り知れない根深さがある。それはいわゆる住宅作家たちさえも縛 りつけていて(いや縛りつけられていることさえ気付かないほどに)、ハウスメーカーの住宅も建築家(と名乗っている人たちの)設計した住宅も遠くから眺め ればほとんど違いがよく分からない。機能的できれいな住宅、それは雑誌の住宅特集にあるような賢い収納術についての記事と同じようにしか住宅を設計してい ないということではないだろうか。(もちろん、収納を考えることが大事じゃないというのではなく、当然考慮されるべき事柄であることは言うまでもないですが)

 

もっとも大切なのことは、まず根源的に住むということの意味についてから考えてみることではないかと思っています。

 

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